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成す心と書いて『感』。感謝・感激・感動・感喜・感泣・感情...etc 心模様を綴るBLOG☆ 
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プロフィール
HN:
希菜
年齢:
45
性別:
女性
誕生日:
1978/11/07
職業:
無職
趣味:
Piano演奏・食べる事
自己紹介:
猫大好き♪前世は絶対に猫♪
そろそろ恋愛をしたいと願い運命的な出会いを待つ。
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今日は送り盆。
迎えは早く、送りは遅く。夕方に母と亡き祖父を送りにいく予定。
そんな今日、郵便物をとりにいくと祖父宛のDMが届けられた。
もう亡くなって5年も経つのに。
そして、この5年、祖父宛の郵便物なんて届いたことないのに。

ふと、祖父宛の郵便物を見て、
「あぁ~、本当に帰ってきているんだ」と思った。
お爺ちゃんは盆の今、ちゃんと家に帰ってきてるんだって。
だから、DMが届いたんだろう。

死・・・
死ぬってどういう感じなんだろう。
きっと、死ぬ瞬間や死んでしまったら何事も感じないのかもしれないけど。
無償に死が恐く感じる時がある。

希菜にとって大切な人が死んだのは祖父が初めてで。
祖父がいない生活が普通になってきた今だけど。
でも、話したかったり、会いたかったり。
その存在はいつでも消えない。

自分が死ぬより、きっと大切な人の死の方が恐いと思う。
だから、祖父を失くしてみて、死というものは希菜にとって恐ろしいもの。

とっても家族思いで。真面目で。マメで。優しくて。
そんなお爺ちゃんだったなー。
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毎日うだるような暑さが続いていて、何もする気が起きないけど・・・。
友達から招待券をもらい、一緒に東京国立近代美術館まで行ってきた。

      アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌

実のところ、あんまり感じなかったというのが正直な感想かな。
色々な国々へ行き、歴史的瞬間を撮影しているみたいだけど。
ふーん、という感じ。

日本で撮影した作品もいくつかあって、それに対しては、
自分が知っている日本とは違う色を出していて、同じ国とは思えなかったな。
しかも、希菜が生まれた歳前後の写真があって、
私が生まれた時の日本って、こんな感じだったのかと思わせてくれた。

展示数も多く、平日といえど人も多かった。
やっぱり写真より絵画の方が好きかな。
だけど、こういう風に芸術に触れながら毎日を過ごせるのは何とも贅沢だと思う
出陣式もなんとか雨が降る直前に終えることができ、
市内一回りして事務所に戻ると、駐車場でワンちゃんを発見
名前はモモちゃんというらしい。

なんだか、『ク~ン、ク~ン』と普段出さないような声で鳴いている。
母親が近くに猫でもいるのかと思い、モモちゃんの周辺を探していると・・・。
一瞬、ネズミの死骸!?と思った物体を見つけ、キャーと叫んでしまった
でも、目線を逸らさずに見ていると、なんだか動いている。
良く見てみると、犬の赤ちゃん!?
赤ちゃんを見ると、まだヘソの緒がついているのだ。
そう、モモちゃんは、恐らくついさっき出産したのだった。
どうりでオッパイが大きくなっているなぁ~と思ってたのだ。

草むらの中で、一人で出産したモモちゃん。
赤ちゃんを探しに、『ク~ン、ク~ン』と鳴いていたみたい。
口で赤ちゃんを咥えて小屋の中に入るモモちゃん。

赤ちゃんをずっと舐め続けるモモちゃん。そして、ヘソの緒を噛んで取っている。
モモちゃん、赤ちゃんにオッパイあげないと。
そう言っても、舐めてばっかでなかなかオッパイをあげない。
ということで、赤ちゃんをモモちゃんのオッパイに近づけてあげた。

      お腹のところにいるのが赤ちゃん

まだ目も開いていない産まれたての赤ちゃん。
ハイハイするように手を動かすのだけれど、まだ前には進めない。
可愛いでしょ!?
モモちゃんにそっくりの柄の赤ちゃん。
こんな産まれたての犬の赤ちゃんを見るのは初めて!!

ただただ、この姿を見ているだけで心に和みが生まれた

モモちゃんは誰にも助けを求めず、誰の力も借りずに、
一人きりで出産して、
自らヘソの緒を切って、
綺麗に赤ちゃんを舐め続け、
赤ちゃんを守っている。
立派なお母さん。

モモちゃんの目を見ると、母の顔をしている。
赤ちゃんを見守る姿。
赤ちゃんを舐めている時の表情。

動物は人に色んなモノを与えてくれる。
時に偉大で掛け替えのないモノを教えてくれる。

母親。
一人きりで産むのは心細かっただろう。
当然、モモちゃんにとったら初体験だったわけだし。
でも、色々な事を乗り越え、そして赤ちゃんを守り育てていく姿。

それに比べ人間は・・・。
様々な人の力を借りて出産する。それが決して摂理に反しているとは思わないけど。
でも、親が子供を、子供が親をという暴力事件や殺人事件のニュースが流れてくる昨今。

子に対する愛がないってありえるのだろうか。
希菜は当然、出産経験はないから分からないけど。
純粋無垢に赤ちゃんを守るモモちゃんを見ているといろんなものが伝わってくる。

モモちゃんにはモモちゃんの好きなものがあり、生きてきた過程がある。
自らの命に代えても守りたいもの。それがきっと赤ちゃんなのだ。
自分の全てをかけ、産みたくて、育てたくて、守りたいのだ。

「ここにいるよ、大丈夫よ」と赤ちゃんに語りかける。
「ママ、ママ」とすがる赤ちゃん。

言葉に現しきれない、母の愛を教えてくれるモモちゃん。
きっと日に日に育っていく赤ちゃん。
選挙戦最終日ぐらいには、赤ちゃんの目も開くかな!?
結構この海辺クリーン作戦を楽しみにしていた希菜にとっては、
海岸に着たにも関わらず、ゴミ拾いができなかったのは悲しい

      ライオンズうちわと一緒に浜辺で。

ライオンズうちわには・・・こんな事が記載されていた。


 世界最大の社会奉仕団体

  ライオンズクラブは主要な奉仕活動のひとつとしてヘレンケラー女史の提唱に応え
  1925年から失明と闘ってきました。
  白い杖、盲導犬学校、アイバンクはライオンズが創始しました。
  白内障、トラコーマ、河川失明症を根絶し、
  更なる失明の予防と治療を充実させる為、第一次の1億6,000万ドルに続き、
  ’05年7月~’08年6月にライオンズは
  1億5,000万ドルの献金を目指して推進しています。

世界最大の社会奉仕団体って事は希菜も知っていたけど・・・。
1億6,000万ドルの献金とは凄い

昼食時には、とある方から温暖化によって発生する被害のお話を聞いた。
ここ最近、異常気象が発生するようにはなったというものの、
先進国のどれだけの人が、温暖化の被害なり、
環境破壊問題について深刻に考えているのだろう。
先進国の非エコロジー生活の被害は、開発途上国に現れていたりと。

日本の1億2,000万人のうち、、、
世界66億人のうち、、、
いったいどれだけの人が、地球や環境の未来を考えているのだろう。

とは言っても、自分自身、何でもある便利な生活を辞められるわけではないし。
車に乗り、何もが機械化され、電化製品は新商品が次々に売り出されるし。

希菜が思うエコは、『出来る事からやろう!』
ゴミを拾う事が出来なければ、せめてポイ捨てをしない。
割り箸を使わない為に、マイ箸を使うとか。エコバックを使うとか。

 1億2,000万人の人が1日1個のゴミを拾っただけで、
 1億2,000万個のゴミが無くなり、綺麗になるのだ。

 1億2,000万人の人が1日1つの割り箸を使わないだけで、
 1億2,000万本分の箸を作る木を伐採しなくてすむのだ。

自分に出来ることから、やってみよう。
そう、みんなが認識・意識しなければ、環境の改善の余地はない。
私達人間は地球に住んでいるのではなく、
地球に住まわせてもらっているのだ。
それを自覚しなければいけないと思う。

海辺クリーン作戦が出来なくて本当に残念。
また機会があったら、絶対に参加しよ
雨上がりで大き~な虹が。

      希菜の家からの景色じゃないみたい。

本当に綺麗だなぁ~ 
写真には写せなかったけど、二重の虹になっていた。
日本で虹を見るなんて、何年振りだろう。
Hawaiiでは良く虹が見えるらしく、大きな虹を見たけど。

本当の芸術とは、自然そのものなのかもね。
ずぅ~っと気になりながらも、先延ばしにしていたお手紙を今日やっと書いた。
お世話になった方々へ、写真を同封して。

      四季のレターセット

会社にいた頃、千趣会で頼んでいた文セット。
香玉がついていて、四季の香を一緒に送ることができるのだ。風情だなぁ~

携帯メールやPCメールという便利なアイテムに頼り、昔程手紙を出さなくなったけど。。。
やっぱり手紙って良いもんだよね
江ノ島電鉄で長谷駅にて下車。目指すは今日の一番の目的地長谷寺。

      

希菜は一番のお楽しみを最後に残す派。
食事の時も好物を一番最後に食べる派。
観光といえば、①観光 ②買い物 ③食べる ④体験 の4つの要素だろう。
鎌倉散策で④体験なんて、なかなか出来ないだろうけど。
希菜が見つけたのは、写経。

      受付が14:00までという事で長谷寺につくなり早速写経を

もちろん初の体験。
一応小学校卒業まで習字を習った希菜。
筆と筆ペンが用意されていた。
頑張って墨をすり筆で挑戦したけど、思うように書く事が出来ず筆ペンにて経文を書き写す。
薄書きされた経文を丁寧になぞっていく形になっているから、未経験の人でも気軽に出来る。

一文字一文字丁寧に般若心経をなぞっていく。
静かぁ~な空間。シトシトと雨が滴る音がする中、心静かに、心が洗われていく。

      写経の用紙はこの経蔵に収められる

ずぅ~っと、ずぅ~っと収められていると思うと、なんだか嬉しい。
5年後も。10年後も。希菜がこの世を去っても、今この瞬間想い込めたものがここに残るのだ。
いつかまた、誰かと。今度は一人じゃなく大切な人とこの場所へ来たいものだ

そして雨が降る中、紫陽花散策路へ。
混雑時は整理券が配られ、散策路への入場規制がされるみたい。
やっぱり平日の今日来て良かった。
ゆっくり待たずに観賞できるのはニートの特権だね

      
       萼(がく)紫陽花          大輪のピンクの紫陽花

      

明月院は青や紫の紫陽花ばかりだったけど、長谷寺は色とりどりの紫陽花が沢山植えられている。
40種類以上の紫陽花が植えられているとか・・・。

      見晴台から

紫陽花と一緒に地平線や鎌倉の街並み、海岸が見えて清々しい。
海岸はお天気の方が見晴らしが良いのだろうけど、やっぱり紫陽花は雨が降っていた方が綺麗かも。

いやぁ~、それにしても綺麗。紫陽花で埋め尽くされ、初夏の瑞々しい新緑。
マイナスイオンでまくり!
日頃のストレスや、汚いもの。心の中の醜いものを、新緑たちが洗い流してくれたよう。

      地蔵堂

いったい何体あるのだろうというぐらいおびただしい数の水子地蔵が並んでいる。
   
      散策途中にあったお地蔵さん

なんだかとっても和みあるお地蔵さん。
こんな風に寄り添う家族を築きたいなと想った
お次は同じく北鎌倉にある円覚寺に行って来た。

        

円覚寺の紫陽花は明月院に比べ大輪の紫陽花かな。
鎌倉五山第二位という円覚寺だけど、紫陽花としては有名ではないようで株数は少なかった。

      希菜お気に入りNo.1の萼(がく)紫陽花

      国宝に指定されている洪鐘

この洪鐘を見るためにけっこうな石段を登る。
体を鍛えている希菜にとってはへっちゃら

拝観時間の目安は60分と書いてあったけど。
平日だったせいか、思ったより狭かったかな。
それでも、のんびり歩きながら50分ぐらいはかかっていたと思う。

円覚寺での一番のお気に入りはコレ↓

      

    歩けることの
    ありがたさ
    日ざしをあびる
    ありがたさ
    今
    生きていられる
    ありがたさ

若干傾斜が多い境内を歩いて、足疲れたなと思った時、ふと目についた。

祖母と同居している希菜。
祖母は歳だからか、足が痛いと毎日のように言っている。
28歳の希菜には、その痛みがどんなものか分からない。
きっと自分もお婆ちゃんになってから分かるのだろう。

日差しを浴びれば、日焼けしちゃう、眩しいと思う希菜。
24時間、365日暗闇がもし続いたら、太陽の存在がどれだけ有難いことか。
作物や植物は、日差しを目指し伸びていく。
外に自由に出れる健康な体。
こうして生活をしていると、その健康な体が当たり前だけど、決して当たり前ではないのだ。

心臓が鼓動しているという事。動かそうとして動いているわけではない。
だからこそ、その有難さを忘れてしまう。
生きているからこそ、何でもできるのに。
生きていればこそ、可能性は無限大に広がるのに。

見れる喜び。
聞ける喜び。
触れられる喜び。
味わえる喜び。
・・・そして感じれる喜び。

毎日の連続で、それが当たり前と思ってしまうけど、
ふとした瞬間に、「それは違うよね」「感謝の気持ちを持とう」と思わせる何かに出逢う。
きっとそんな瞬間がとっても必要なのだと思い、その瞬間に出逢った寺院だった。
      アジサイ寺として有名な明月院。

やっぱり平日の今日来て良かったと納得。
人も少ないし、一人散策は気ままに&のんびりと感応できるし。
少し待てば、紫陽花だけの写真も撮れる。

      

枯山水庭園に竹林

      

自分の家にもこんな日本庭園が欲しいなぁ~。
そして希菜が大好きな竹林。
真っ直ぐそしてしなやかに天を目指し伸び立つ姿は、
眺めているだけで清々しく、感性豊かなパワーをもらえる感じがする。
昨日、お世話になっているNさんが希菜の家に来られた。

その方の奥様は癌を患っている。身体の調子や看病のお話をされていた。
余命○ヶ月と宣告されてからも、身体の節々の痛みを抱えながら癌と戦っているらしい。

   24時間、看病しているようなものだと。

   寝ていても、寝た気がしない。

   痛いと言えば、身体をさすってあげる。

   一人で歩けない奥様だから、トイレだって付き添い、お風呂も入れているんだと。

   看病している自分が先にくたばってしまいそうだと冗談半分に言いながら・・・。

希菜はこの姿こそ愛の形だと思った。
夫婦とか、家族ってこうあるべきなんだろうなって。
そして、これからどんな人生が待ち受けているか分からないけど、
大切な人が病気や寝たきりになった時、自分にも出来るのだろうか。

決して、見た目的に綺麗なものではないと思う。
でも、Nさんの姿は何よりも透き通っていて綺麗だと思った。

言うのは簡単。でも、自らが動くのは多くの労力を使う。
それを何事もなく行動に移せてしまうのが愛なんだろうな。

どれだけ真剣に、
どれだけ必死に、
どれだけの心と、
どれだけの労力をともなっても、
何をも犠牲にしてでも、
守りたい命。守る命。
それが、愛なんだと思った。

   退院してからの方が回復しているという。

一番の自然療法。それは愛なんだと思った。
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